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戦争の記録

2024年2月
   太平洋戦争末期、池田は大小合わせて9回の空襲を受けました(「新修池田市史第3巻」)。
   現在の池田に戦争の痕跡はほとんど残されていません。戦争を知らない世代が増えつつある今、戦争の悲劇を後世に伝えるためにも、戦時下の池田の様子や人々の生活、空襲の被害状況を記したもの、学童疎開の記録、戦争体験記などは貴重な資料となっています。
 

 <関連事項>    太平洋戦争/疎開/空襲/戦跡/戦没者/防空壕 


 
書名/著者名/出版事項/分類

関連図書(部分記述を含む)

大阪の戦争遺跡ガイドブック   戦争体験を記録する会∥編 , 清風堂書店 1987, 291.63
■大阪の戦争・戦災遺跡:北摂方面;池田・箕面市 p87-90 

日本の空襲 6 近畿   君本昌久∥責任編集, 三省堂 1980, 210.75

■池田の空襲 p106-112


池田空襲の記録   大阪教育大学附属池田中学校郷土研究部歴史班∥編集, 大阪教育大学附属池田中学校郷土研究部歴史班 1976.11, 916

池田市中川原旧海軍地下魚雷格納庫跡調査報告書   池田市戦争遺跡調査研究会∥編, 池田市戦争遺跡調査研究会 1989, 210.75 


郷土のあゆみ(5)1981~83年度 研究テーマ:池田の戦没者調べ    池田市立北豊島中学校歴史同好会∥編, 池田市立北豊島中学校郷土研究部 1984, 216.3 


郷土のあゆみ(6)1984・85年度研究テーマ 1.戦没者遺族の声/2.池田の戦跡を探る   池田市立北豊島中学校郷土研究部∥編, 池田市立北豊島中学校郷土研究部 1986, 216.3

池田市における学童集団疎開 大阪市東淀川区神津国民学校 その一   池田市立渋谷中学校社会科クラブ∥編,  池田市立渋谷中学校 1980, 372.1


池田市における学童集団疎開 大阪市東淀川区神津国民学校 その二   池田市立渋谷中学校社会科クラブ∥編, 池田市立渋谷中学校 1983, 372.1 


「父母の戦争体験」に学ぶ 第1集   池田中学校研究委員会・道徳学活部会∥編, 池田市立池田中学校 1977, 210.75     


「父母の戦争体験」に学ぶ 第2集   池田中学校研究委員会・道徳学活部会∥編, 池田市立池田中学校 1979, 210.75    


「父母の戦争体験」に学ぶ 第3集   池田中学校研究委員会・道徳学活部会∥編, 池田市立池田中学校 1987, 210.75     


平和への願い 一地方都市からの訴え  大阪府池田市原爆被害者の会∥編, 池田市福祉部福祉事務所∥編, 池田市原爆被害者の会 1977, 915.9 


娘に語るアボジの歴史   池田市立北豊島中学校∥編, 1981, 316.68  

娘に語るアボジの歴史 続・アボジの体験記   李興燮∥著,  池田市立北豊島中学校 1985, 316.81

娘に語るアボジの歴史 アボジの体験記・完結   池田市立北豊島中学校在日朝鮮人教育分科会∥編, 池田市立北豊島中学校 1986, 316.81 


新修池田市史 第3巻   池田市史編纂委員会∥編集, 池田市 2009, 216.3
■第3章第3節:太平洋戦争下の池田市  p639-707
■口絵写真   旧東京第二陸軍造兵廠大宮製造所池田工場(平成17年撮影)/在郷軍人の演習(昭和13年頃)

池田五十年史  大阪府立池田高等学校校史編纂委員会∥編著, 五十年記念事業実行委員会 1990, 376.48

   池田高校(旧池田中学校)の年史   
「昭和16年4月~」 p85-   (内容)戦時下の学校生活、勤労動員、空襲による学校炎上、体験記等

承風 創立60周年記念誌   池田高校創立60周年記念誌委員会∥編, 大阪府立池田高等学校 2000, 376.48

■戦時下の学校生活 p84-86


宣真60周年記念誌   宣真60周年記念誌編集委員会∥編集, 宣真学園 1980, 376.48

■松尾孝順校長時代:昭和17年6月-昭和28年1月  p44-49
(内容)戦時色強まる/戦時中の学園生活あれこれ/高女20回生の記録/昭和20年8月15日第2次世界大戦終結    

宣真五十年史  宣真五十年史編集委員会∥編集, 宣真学園 1971

■Ⅴ 太平洋戦中戦後:宣真中学高校の設立;松尾校長時代(昭和17年6月-昭和28年1月) p136-183    


五十年史   ダイハツ工業株式会社五十年史編纂委員∥編纂, ダイハツ工業株式会社 1957, 537.067
■第5章 戦時体制期(昭和12年-同20年)
p75に「池田工場の空襲被害は極めて軽く小型爆弾が鋳物工場の型込み場に一カ所落下したのみで済んだことは不幸中の幸いであった。」の記述があります

躍進するダイハツ 創立60周年を迎えて   ダイハツ工業 1967,  537.067

■第4章 軍需工場化から終戦へ  p87-109 


道を拓く ダイハツ工業100年史   ダイハツ工業株式会社∥編集, ダイハツ工業 2007, 537.067
■第1章 第4節 戦時下における生産体制 p69-78
  (内容)資材不足の中で池田工場が完成/年々増大する軍需品の受注量/軍需会社への指定/大坂空襲から終戦へ 他   
p78「空襲による消失設備は建物で31%、工作機械では29.3%に及んだが、池田工場の被害は極めて軽微であった」の記述があります

 
記事タイトル/著者名/収録誌(紙)/巻(号)/出版事項/掲載頁

雑誌記事等

五月山の地下工場全容ほぼ判明:旧海軍の魚雷格納庫   がんがら 131(1989/03/20),「がんがら」社   

(縮刷版がんがら新聞 下巻)  


【池田の文化財】防空壕跡:豊島南1丁目2番9号 十二神社   広報いけだ 957(2000/8/1号)  池田市 裏表紙     


五月山は自然と歴史と民俗の宝庫:五月山魚雷格納庫跡   室田卓雄, つながり 2017.3(189), 池田市公益活動促進協議会 2017, p3  


五月山は自然と歴史と民俗の宝庫:池田大空襲と大広寺・陽春寺   室田卓雄, つながり 2017.6(192), 池田市公益活動促進協議会 2017, p3